漫画 月下の棋士 全32巻を読了した

「あんた……背中が煤けてるぜ…」

「どう言う意味じゃそりゃあぁああああ!?」

「おめぇの運を儂にくれやぁああああああああ!!!!!!!11111」


知っている人は知っているであろう名作麻雀漫画の作者と同じ、能條純一さんの将棋漫画、それが本作「月下の棋士」です。


将棋を題材にした作品では、その自由な発想と描写から、過激で派手な内容になりがちなのですが、本作はそれどころじゃありません。

もうとにかくいろんな汁が出まくります。

それも下着を一緒に洗ってほしくないような中高年のオッサン(でも超一流の)プロ棋士からいろんな汁が出まくるのです。

しかし、意味もなくそれらが体から垂れ流しになるのではなく、文字通り身を削り命を捧げるような気合と集中力を高めすぎて盤面に向き合いすぎて、ホメオスタシスが完全に瓦解してしまって心身がボロボロになっていろんな汁をまき散らしながら畳の上に崩れ落ちるのです。
ゴムは一度切れたら元に戻りません。本作のプロ棋士たちもまた、心身のゴムが切れてしまってそのままこの世を去ったりしてしまうのです。


そのあまりにもあまりな描写に最初は思わず吹いてしまった私ですが、読み進めるに従って、その異常さこそがむしろ、プロ棋士の内面を如実に表わしているのではないか、と肯定的に受け取るようになりました。

本当に全てを盤面に投げ打って、後戻りできないほどに投げ打って、それでもなお負ける棋士は負けるという残酷な世界。これこそが国内1200万人とも言われる将棋指しの頂点で生きる者たちなのだと、そして「鎬を削り合う」ということの本当の意味を本作で見出すことができたと私は感じました。


主役は、氷室将介という青年で、元プロ棋士の孫ですが、とある因縁から、滝川という名人と全32巻を通じて対峙し続けます。

氷室は奨励会から始めますが、それでも滝川名人とはずっと互いをライバル視続けます。それはほとんど愛とも憎しみともあるいはその両方が不可分に混じり合ったようなもので、その対決は最終巻まで縺れ込むのです。

それは氷室の順位戦での各対局だけではなく、彼の全ての時間に緊張と生きがいをもたらし、それが彼の強さにつながっています。

しかし、氷室はなにも滝川名人にだけ生かされているのではありません。
氷室に対してときには厳しくときには心配して、利害抜きで見守る全ての人々に生かされて、棋力と気力を養っていくのです。


主人公氷室は、あまりにも将棋だけの人生を送ってきているため、人間というよりは、まるで精霊のようです。
行儀は悪く、口は悪く、マナーも何も知りませんが、将棋を愛し、将棋の駒の声を聴き、将棋と一体化する様は、人間の姿をした将棋の精霊の化身そのものなのです。

人間の姿をした……という意味では滝川名人も似たようなものですが…。


1993年、今から26年も前に始まった漫画ですので、絵のタッチは今風とは呼べませんし、作風はほとんど例の麻雀漫画そのまんま的ではありますが、プロの世界の内面のありようをおそらく一番リアルに描いた作品だと思いますので、本作を手に取ってみられるのもアリだと思います。いい作品ですよ。


余談ですが、本作は、他の将棋漫画でリスペクトとかオマージュされてたりします。3月のライオンとかひらけ駒でも本作風のタッチとか、名言がひょろっと出てきます。おそらく他の作品でも出てくるでしょうから、本作を読んだ後に今時の将棋漫画を読みなおすのも一興かと存じます。

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