京都アニメーションの事件について

よりによってこんな凶悪な事件が京アニで起こってしまうとは思ってもみなかったし、本当に言葉にならないです。

この事件、犯人が100%悪いのは言うまでもないとして、

その大前提で、

建物の構造に問題がなかったか、とか、
物理セキュリティの強度とかその運用に問題はなかったのか、とか
脅迫が何度もあったのに、何か有効な対策は取れなかったのか、とか、
その件で警察に相談にしていたのに、警察は何かできなかったのか、とか

未然に事件を防ぐ手立てを取ることができなかったのかと思ったりもしますが、

結局はどうやっても防げなかったような気がします。

まあ…なんでもかんでも「運命だから」、で済ませてはいけないし、
それは安易な思考停止とも見做されるとは思いますが、

それでも、生き物の命の終焉は「突然に訪れる」ことがあるのだと、この事件で改めて思いました。


だからこそ、毎日を生きたいように生きなければ……と。

だからと言って、何も、無秩序にでたらめに生きる、ということではなくて、

よりよく生きるために、そのために、周りの環境や人たちとの調和も(多少は)考慮しつつ、

今の範囲でやれることをやる、やりたいことをやる、やらねばと思っていることの準備を進めたり、何か1つでも取り組んでやり遂げてみたり、
とにかく今その時点でやってないことへの後悔にまみれないように生活できているのなら、

唐突な終焉を無駄に恐れることもなくなるような気がします。


もし、やるべきこと、の中に、「安全の確保」も含まれているなら、

それはきっと生存の確率を上げて、もっと先までやりたいことのための時間を得ることができるかもしれない。

そう考えるなら、運命は変えられないのだとしても、より安全に生きる、そのために注意を払うことは無駄ではないような気がします。

まあ……それでも、危険を未然に防ぐって本当に難しいことですよね。

だからこそ、生存につなげるためには、という強い意識が普段から必要なのだと思ったりしたのでした。



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