映画「沈黙」観てきたよ
知人からとか、普段ほとんど映画館に行かないような人からまで、映画館に足を運んで「沈黙」観てきたという話を聞いて、(それまではこの映画が上映されていることも知らなかったのに)俄然興味が出てきて、土曜に立川の映画館に行きました。
沈黙は、西暦1600年代中盤から1700年代、江戸時代初期の肥前国(長崎県)が舞台の、ポルトガル人神父を主人公とした、隠れ切支丹たちの生きざまとそれに関連する人々の話です。
当時の肥前でも、島嶼の寒村の住民は本当に貧しく、なのに仏教は彼らを救ってくれない。
彼らの唯一の救いは、ヨーロッパから来た神父が布教したキリスト教と、その宗教が説く「でうす」と「ぱらいそ」の存在です。
しかし、幕府はキリスト教を日本の平和を脅かす存在と断定し、徹底的に信者を弾圧しています。
そこに、日本で布教活動を続けていたはずの師匠的存在の神父が日本でキリスト教を捨てたという話が信じられない2人の神父が祖国を出て肥前に密入国するところからストーリーが始まります。
ひた向きに「でうす」を信じる信者と、棄教を強力に進めていく幕府の役人。
処刑をちらつかされてもなお強固に踏み絵と十字架への唾吐きを拒む信者たち。
そして見せしめとしての効果も含めていると思われるバラエティに富んだ残酷な処刑。
役人に見つからないようにひた隠れながら、その様子を為す術なく見守るしかない主人公。
苦しみに喘ぎ死んでいく信者に何ら救いを差し伸べずに沈黙したままの神という現実に、修道士として深く神を信じてきた主人公ははげしく悩み苦しみます。
そして……とうとう……
という感じのストーリーです。
絵的には、幕府の役人による拷問と処刑は惨たらしいことこの上ないのですが、
・キリスト教の思想が幕府に与える危険性の把握
・拷問や処刑の肉体的効果と、それを見る人に与える精神的・心理的効果の正確な把握
を成し遂げている日本というのは、17世紀にしてずいぶんしっかりと国をまとめ上げているのだなとつくづく思いました。
肥前のような江戸からするとかなりの遠隔地でさえも、幕府の思想が隅々にまで行き渡っていて役人はそれを忠実にこなすことができるというのはすごいことです。
これは、日本の国土が海に囲まれていてその面積も絶妙だからという要因も大きいと思います。
国土が中国やロシア並みに広いなら、辺境にまで幕府の意識を行き渡らせるのは難しくなるのではないでしょうか。
役者の演技に目を向けると、
筑後守を演じたイッセー尾形さん、「このくらいの地位になってくると、人の雰囲気が変わってくる」感をすごく出していてよかったです。
代官とかはいかにも代官らしい感じのふるまいですが、それよりも筑後守のほうが偉い、ということをきちんと演出できています。これは監督の力量でもあるのでしょうか。
キチジロー役の窪塚洋介さんも、主人公を困惑させる不思議な立場をうまく演じていました(最初は誰かまったく気づかなかったです)。
この作品を振り返るに、私が子供なら、むごい拷問と処刑にばかり目が行って怒りを募らせたのでしょうけど、
今の日本とそれを取り巻く国とのことを考えると、
弾圧の仕方は問題があったかもしれないけど、国を守るためにやるべきことを役人たちは淡々とこなしたのだ、という感想を持ちました。
今の行政は、かなり緩いところがあって内部からの他国民の浸食に無頓着すぎると思います。
なので、政治家さんや公務員さんはこの映画を観て、日本国を内外からしっかり守ることをきちんと考えてほしいです。
……それはともかくとして、マーティン・スコセッシ監督のこの映画、観てよかった。名作だと思います。
こうなると、遠藤周作の原作も読んでみたいなぁ。
沈黙は、西暦1600年代中盤から1700年代、江戸時代初期の肥前国(長崎県)が舞台の、ポルトガル人神父を主人公とした、隠れ切支丹たちの生きざまとそれに関連する人々の話です。
当時の肥前でも、島嶼の寒村の住民は本当に貧しく、なのに仏教は彼らを救ってくれない。
彼らの唯一の救いは、ヨーロッパから来た神父が布教したキリスト教と、その宗教が説く「でうす」と「ぱらいそ」の存在です。
しかし、幕府はキリスト教を日本の平和を脅かす存在と断定し、徹底的に信者を弾圧しています。
そこに、日本で布教活動を続けていたはずの師匠的存在の神父が日本でキリスト教を捨てたという話が信じられない2人の神父が祖国を出て肥前に密入国するところからストーリーが始まります。
ひた向きに「でうす」を信じる信者と、棄教を強力に進めていく幕府の役人。
処刑をちらつかされてもなお強固に踏み絵と十字架への唾吐きを拒む信者たち。
そして見せしめとしての効果も含めていると思われるバラエティに富んだ残酷な処刑。
役人に見つからないようにひた隠れながら、その様子を為す術なく見守るしかない主人公。
苦しみに喘ぎ死んでいく信者に何ら救いを差し伸べずに沈黙したままの神という現実に、修道士として深く神を信じてきた主人公ははげしく悩み苦しみます。
そして……とうとう……
という感じのストーリーです。
絵的には、幕府の役人による拷問と処刑は惨たらしいことこの上ないのですが、
・キリスト教の思想が幕府に与える危険性の把握
・拷問や処刑の肉体的効果と、それを見る人に与える精神的・心理的効果の正確な把握
を成し遂げている日本というのは、17世紀にしてずいぶんしっかりと国をまとめ上げているのだなとつくづく思いました。
肥前のような江戸からするとかなりの遠隔地でさえも、幕府の思想が隅々にまで行き渡っていて役人はそれを忠実にこなすことができるというのはすごいことです。
これは、日本の国土が海に囲まれていてその面積も絶妙だからという要因も大きいと思います。
国土が中国やロシア並みに広いなら、辺境にまで幕府の意識を行き渡らせるのは難しくなるのではないでしょうか。
役者の演技に目を向けると、
筑後守を演じたイッセー尾形さん、「このくらいの地位になってくると、人の雰囲気が変わってくる」感をすごく出していてよかったです。
代官とかはいかにも代官らしい感じのふるまいですが、それよりも筑後守のほうが偉い、ということをきちんと演出できています。これは監督の力量でもあるのでしょうか。
キチジロー役の窪塚洋介さんも、主人公を困惑させる不思議な立場をうまく演じていました(最初は誰かまったく気づかなかったです)。
この作品を振り返るに、私が子供なら、むごい拷問と処刑にばかり目が行って怒りを募らせたのでしょうけど、
今の日本とそれを取り巻く国とのことを考えると、
弾圧の仕方は問題があったかもしれないけど、国を守るためにやるべきことを役人たちは淡々とこなしたのだ、という感想を持ちました。
今の行政は、かなり緩いところがあって内部からの他国民の浸食に無頓着すぎると思います。
なので、政治家さんや公務員さんはこの映画を観て、日本国を内外からしっかり守ることをきちんと考えてほしいです。
……それはともかくとして、マーティン・スコセッシ監督のこの映画、観てよかった。名作だと思います。
こうなると、遠藤周作の原作も読んでみたいなぁ。
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