映画 ビューティフル・マインドを視聴した

数学に関しての記事をあれこれ読んでいたら、ビューティフル・マインドという言葉に行き当たりました。
ジョン・ナッシュという数学者の生涯を映画化した作品とのことでした。

ナッシュ均衡という言葉はどこかで聞いたことはあったかもしれませんが、
彼についてはほとんど何もしらなかったです。

それで、amazonでこの作品の評価を調べようとしたら、amazonプライムの特典で無料で映画を視聴できることが分かったので、昨日観てみました。

以下、若干のネタバレありますのでご注意。







あまり深く考えずに、感想を述べていきます。

彼は、数学に関しての天才で、勉学の場所にも、研究の場所にも恵まれながらも、
統合失調症の症状のため、人生の多くについて苦難を強いられてきました。

その中でもっとも彼を苦しめたのが、幻覚を見る、ということです。
映画なので、幾分かの強調なり脚色なりはあるとは言え、
その幻覚はあまりにリアルな存在で、ジョン・ナッシュにとってはリアルも幻覚も同じ現実としか思えないのが最大の悲劇になっています。

現実は現実、幻は幻、いくらなんでも見分けくらいつくだろ?

と思われるかもしれませんが、区別が全くつかないことは、実は視聴者自身も映画の中で追体験します。

つまり、この病気がいかにやっかいなものなのかを(ほんの少し)理解できるようになるのです。


ジョンにとって、とても残念なのがこの病気は、単に足を引っ張るものでしかなかったことです。

病気の経験が生かされてそれが数学の業績につながる、などとということも全くなく、彼が年老いてもなおずっと彼自身を苦しめ続けます。

何十年も幻覚に苦しみ続けたあと、彼はどうなったのか…。
それは、ジョンのことをほとんど知らない未来の視聴者のために秘密としておきましょう。



映画を観終わったあと、しばらく考えて、私は一つの結論を出しました。
ジョンは、リアルワールドと、パラレルワールドを一つの肉体、一つの精神で同時に生きなければならなかったのだと。

よくあるパラレルワールドが出てくる作品では、もう一人の自分が、別次元、別世界で生活している。
然し、普通はどちらの世界の自分もお互いに干渉できないと。

これが、SFだと、パラレルワールドの自分と出会って、入れ替わったりするなど、風変りで危険なエピソードが展開されていったりします。

然し、それはフィクションの中の話です。

ところが、ジョンの場合はノンフィクションの実世界で、もう一つの世界とも付き合っていかなければならなかったのです。なぜなら、パラレルワールドの住人は、ジョンにとってはあまりにもリアルで、どうしても幻には見えないからです。


統合失調症にはいろんな形態があると思われるので、ジョンのこの実体験は、この映画を通してある程度は理解されたかもしれませんが、しかし、この病気の解決にはあまり役に立たないかもしれません。

然し、患者の立場を理解して、手助けできる場合はあるのかもしれない。彼の人生では、実際周りの人間の理解によって彼は何度も助けられました。

統合失調症の患者に手を差し伸べることは、その人の人生の幾分かをも患者に差し出すことになるのかもしれません。

けれども、差し出すことが必要ならば、利害抜きで差し出すという選択もあるのだ…という、主張をこの映画から感じ取れたような気がしました。

それと、精神の病気への考え方、または関わり方の一助として、この映画は存在意義があるのかもしれないとも私は思いました。



さいごに、この映画のタイトルは、なんとも皮肉とも思えるし、彼の苦悩の人生ゆえに、彼は多くの人に祝福されたという側面から、ぴったり合っているとも思えます。

そのどちらかになるのかはきっと視聴した人それぞれに違うはずと感じる映画でした。

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